『物語に見る英米人のメンタリティ』 文学と言語学の接点

表題の書は文学研究者による日本と英米の対照文化論である。これが,認知言語学でいうところの,認知モード(Iモード認知とDモード認知)に繋がっていて面白かった。

 

言語学でいうDモード (displaced mode)は「もののありようを、冷静な目でとらえる」となる。状況から超越しているので冷静,逆に状況にコミットしているので非冷静という対立だろう。表題の書から引用する。

 

英語の教科書の内容については、事実主義にたち客観叙述を旨とする本来の英語のままでいいの だとする意見ももちろんある。それはやはり日本では少数意見だが、例えば、小笠原林樹氏の次の 言葉などがそれである。 

 

私の英語教育論のいくつかの部分は、検定教科書の著者のそれとも、また中高校の英語教師 のそれともちがっていて...その一つは、中高校の英語教育では『心をうつ話』など必要ないと、私が考えていることである。 (『英語教育』 大修館書店、一九九一年四月号) 

 

と氏はいう。この言葉は、裏がえすと、われわれは教材においても心をうつ感動的なものを求めているということを示している。現実にわれわれは事実だけを述べる文章には、どうしてもものた りないものを感じてしまうのである。例えばオックスフォードなどのイギリスの出版局から出され テキストの中で、内容的には面白いと思っても、終始客観的事実の提示だけで終っているものは、やはり教科書にのせるのをためらうことが多い。 

 

オリンピックを始めとする,スポーツ中継で良く見られる「感動の押し売り」にも繋がる興味深い話である。Iモード認知の言語で思考することに慣れているため,事象を臨場的に捉えてしまう。臨場的に捉えるということは,その事象によって認知者がどのような影響を受けたのか,というところに目が向きがちになることを意味する。マスコミはこの「どのような影響」を,反論しづらい「感動」に置き換えてオリンピックを売り込んでいるのだろう。

渡辺雅子氏の『納得の構造』にも繋がる,とても示唆に富んだ話。