意味と補文 Dixon (2005)

意味の形式の関係性というとBolingerであるが,次のDixonによる観察も面白い。彼によれば,that節は確定的な事象や状態を表し,その活動や状態の内部構成や時間幅を見ることなく,単一のまとまりとして言及するのに対して,-ing補文は活動や状態を時間幅のあるものとして示す(ibid.:238-259)。

(1) a. I propose (our) walking from John O’Groats to Land’s End to raise money for charity.
    b. I propose that we (should) do the walk in the spring.
(2) a. *I propose (our) forgetting the whole idea.
     b. I propose that we (should) forget the whole thing. ((1), (2), ibid.:241)

(1a)は,補文の事象(walking)が-ingで時間幅のあるものとして提示されている。動詞walkは非有界的な活動を表す動詞であり,-ingになって補文に使われることで矛盾は生じない。(1b)は軽動詞構文で単一の事象として示されており,that節の特徴と相容れる。(2a)は,瞬時的な状態変化の動詞forgetが,-ingになることで時間的な幅のある事象であるとされており,矛盾がある。(2b)は瞬間的状態変化という事象のタイプとthat節補文での使用に整合性がある。