百年戦争について

柴田三千雄 (2006)『フランス史10講』岩波書店,東京。

第3章

14,15世紀はヨーロッパ全体が危機に見舞われる。飢饉,疫病,戦争の3つの災害が重なったことが原因。飢饉は,11世紀はじめからの人口増加に対して,耕地の拡大や技術改良が頭打ちになったため人口過剰になったとするのが最も説得力ある説明。

 

『詳説世界史研究』

pp. 210  都市と商業の発達は,必然的に貨幣経済の浸透を促した。現物経済から経営の見直しを迫られるようになった。そこで,直営地を解体して農民に分割貸与し,従来の賦役を生産物地代ないしは貨幣地代に切り替えていった。いわゆる古典荘園から純粋荘園への変化がこれである。だが,それは旧来の領主・農民関係を大きく変えることになった。すなわち,領主の人格的支配はしだいにゆるみ,貨幣を蓄えた農民の中には,多額の解放金を支払うことにより,人頭税・結婚税・死亡税などの身分的隷属から自由になるものも現れたのである。

 

pp. 214 この戦争(百年戦争)の背景には,ヨーロッパ有数の毛織物業地帯フランドルの支配をめぐる両国間の積年の対立と,これを契機にアンジュー帝国の再現をもくろむイギリス王家の野心があった。